2019年3月17日の四旬節黙想会、および「四旬節第2主日」ミサのようすを写真でお伝えします。
四旬節黙想会のようすです。初めに主任司祭より挨拶と指導司祭の紹介がありました。

指導司祭はパリ外国宣教会北九州支部のルイ・ベリオン神父様です。初めに皆で聖歌を歌いました。

ユーモアや身振り手振りを交えて、四旬節の間に私たちが何を考えるべきか、丁寧にお話してくださいました。要旨は以下の通りです。なお、黙想会のようすは こちら で視聴することができます。
- 四旬節の間、教会は私たちに3つのことを勧めています。すなわち「足を止めること」「自分の信仰の歩みを静かに振り返ってみること」「必要に応じて父なる神に立ち戻ること」です。
- 私たちの教会=イエスの共同体は一般的に言われている「宗教」とは異なっています。私たちはイエスから呼び集められた兄弟の共同体です。このことをすべての出発点とする必要があります。(そうでなければ、イエスと関係のないことに基づいて考え始めてしまいます。)
- 呼び集められている私たちは、神の言葉に耳を傾け、信仰を支える糧であるパン(=ご聖体)をいただき、イエスの福音を伝えるため、証しするために派遣されます。一人ひとり自分のできる範囲で自分の信仰を証しするように呼びかけられています。
- 大事なことは「父である神を忘れないこと」「神の息に合わせて呼吸すること」です。自然体でよいのです。
- 批判することからは何も生まれません。司祭一人では何もできない。人によってできることは違いますが、信徒としての役割はそれぞれあるので、助け合いながらその役割を果たしていくことで共同体は豊かになります。
- 私たちは「何を信じているか」ではなく、「誰を信じているか」を考えなければなりません。私たちは宗教的な思想を信じているのではありません。私たちが信じている神は「共におられる方」、「信頼できる方」、「拠り所になっている方」です。神はイエスの父であり、私たちの父でもあり、私たちは神との交わりに誘われています。私たちはもっと神の言葉に耳を傾ける必要があります。
- 聖書の言葉を中心にして共同体を築き、聖書の言葉に触れて、聖書の言葉に支えられると、信じることがうれしいことになります。人間として豊かになることができます。今の21世紀の社会の中で生きるために、聖書の言葉がその方向づけになります。
- 私たちが神を信じるよりも先に、神が私たちを信頼しています。先に信頼されているからこそ、私たちは神を信じることができます。先に愛されているからこそ、私たちは神を愛することができるのです。
- 言葉は人の中にあるものを伝えるもの。神はご自分の心を私たちに打ち明けるために言葉を使いました。最終的に神ご自身が言葉となって、私たちの一人になられた、それがキリストと呼ばれるイエスです。
- 私たちにとって神を信じるということは、イエスの言葉と生き方を知ること、それなしには何も始まりません。それに基づいて考え、判断し、日常生活の中で行動することが「神を信じる」ということです。「知っているつもり」は危険です。「イエスのことを本当に知っているか」を常に確認しておく必要があります。
- イエスの弟子ですらできなかったのですから、私たちはそう簡単に「イエスを信じている」と言えるはずがありません。イエスを意識して生きる、イエスを優先して生きるということは簡単にできるはずがありません。私たちの生活の中で私たちの信仰が反映されているのか、自分たちの生き方を正直に見る必要があります。四旬節はそのためには非常によい期間です。
- イエスが言われた「私は律法と預言者を廃止するためではなく、完成するために来た」という言葉が意味するのは、ユダヤ教という宗教の完成ではなく、イスラエルの民の信仰が完成することを意味しています。イエスは新しい宗教を設立するために父である神から遣わされたのではないのです。
- 四旬節の間に、マルコによる福音書の次の節を読み、黙想しながら、「イエスを信じる」とはどういうことかを個人的に深めるように勧めたいと思います。
マルコ福音書1章14節~15節:「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」
「時は満ちた」というのは、準備ができた、ということです。「神の国は近づいた」とは、イエスは神の国の到来を告げ知らせるために来た、ということです。神の国とは神の支配、神の統治の時が来た、ということです。父である神が直接すべてを支配されるということです。「支配」とは、文字通り「支え、配る」という意味であり、ヘブライ語では「主のように行いなさい、振る舞いなさい。」という意味です。「神の国」という表現は、私たちの幸せしか望むことのできない神の救いの思い、神が望んでおられ、求めておられる人間関係が実現し、成し遂げられる時と場を表しています。「悔い改める」とは、今の自分の信仰のあり方はこれでよいのか、信仰を証ししているかを考えることです。
- 神は私たち一人ひとりを大切にしてくださっています。これ以上よい知らせはありません。これこそが「神の福音」です。ですから、私たちは、神が私たちを見てくださっているような目で人を見るように心掛けなければなりません。
- イエスは「第一の掟は神を愛すること、第二の掟は隣人を愛すること」と言われました。しかし、これは順番の問題ではありません。神を愛することと隣人を愛することは表と裏なのです。紙幣の表が完ぺきでも、裏が完ぺきでなければ、それは本当のお金ではないように、神を愛するといいながら隣人を愛さないことは、偽物です。
- イエスを信じ、イエスの弟子として生きるために、「福音であるイエスを優先すること」「仕える精神を持つこと」「イエスの憐れみと慈しみから学んで生きること」を勧めます。

一方、1階の集会室では、子どもたちの黙想会が行われました。主任司祭と鄭元喆(ヂョン・ウオンチョル)神学生により、ミサ中の聖歌番号表示を用いてミサの流れを確認したり、ミサ中に歌う聖歌の練習をしたりしました。

休憩ののち、近くの中央公園へ行き、ブランコやシーソー、バドミントンなどで楽しいひと時を過ごしました。

黙想会の後、「四旬節第2主日」ミサが捧げられました。回心の祈りのようすです。

第一朗読のようすです。この日は「子どもとともにささげるミサ」でした。子どもたちが典礼の奉仕を担当してくれました。

答唱詩編のようすです。

第二朗読のようすです。

福音朗読、および説教の様子です。主任司祭が福音を朗読し、ベリオン神父様がこの日の福音について、お話してくださいました。説教の内容を含むこの日のミサのようすは こちら で視聴することができます。

その後のミサのようすです。

派遣の祝福のようすです。

ミサの後の集会室での歓談のようすです。

ベリオン神父様、鄭(ヂョン)さん、ありがとうございました。
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■■■ お知らせ ■■■
- 次の日曜日(2019年3月24日)は「四旬節第3主日」になります。10:00より侍者会があります。(3月のお知らせでは「教会子ども会」としていましたが、侍者会となります。)侍者の子どもたちは参加をお願いいたします。また、ミサ後に2018年度第7回小教区委員会があります。役員、委員、各地区の地区長のみなさんは参加をお願いいたします。
- 2019年4月7日のミサ後に墓地の清掃を行います。詳しくは こちら をご確認ください。
- 2018年9月9日より、教会敷地内の駐車場が利用できるようになりました。詳しくは こちら をご確認ください。
- 2019年1月1日から3月31日の主日のミサは11:00~になります。2019年4月7日から6月30日の主日のミサは8:30~になります。お間違えの無いよう、ご注意ください。
- 2019年3月のお知らせについては こちら をご確認ください。
- 2019年3月の教会こども会、子どもとともにささげるミサの予定については こちら をご確認ください。
- 2019年3月の教会掃除、および駐車場誘導担当は「C地区」です。
- 住所や電話番号等の変更がありましたら、主任司祭まで連絡をお願いいたします。